北海道・東北

【世界遺産登録目前!】北海道・北東北の縄文遺跡群とは?縄文時代の見どころに迫る!

きりん
きりん
どうも歴旅ブロガーのきりん(@kirinnblog20)です。

今回は、いよいよ今月、7月27日にユネスコ世界遺産委員会の登録審査で正式に世界遺産登録が決定される予定の「北海道・北東北の縄文遺跡群」についてご紹介します。

縄文時代は、日本史でもまず初めに学ぶので、記憶に残っている方が多いのではないでしょうか?

でも、具体的に遺跡名や出土品を聞かれても、なかなかすらっと出てこないですよね…(;^_^A

せっかく世界遺産に登録されるんだから、この機会にどんな遺跡があるのか知りたくないですか?この記事ではいくつか遺跡もピックアップしているので、ご一読いただければと思います!

それではいきましょう!!

縄文時代について

なますけ
なますけ
「縄文」ってあれだよね?縄文土器!
きりん
きりん
お!その通り。よく覚えてたね。縄文土器が作られた時代を縄文時代と言って、今から約15000年前から約2400年前にさかのぼるんだ。
なますけ
なますけ
そんな前から土器を作ってたなんてすごいなあ・・・
きりん
きりん
土器だけじゃないよ!狩猟採集漁労を基盤とした定住生活のなかで、複雑な社会や精神文化が発達していたんだよ。

長い氷河期が終わり、次第に温暖化していくなか、およそ15000年前から人々は土器を使い始め、定住をするようになっていきました。

縄文土器とは、文字通り縄目の文様のある土器のことで、この土器が使われていた時代を「縄文時代」といい、このころの文化を「縄文文化」と呼んでいます。

縄文時代は、1万年以上もの長い期間続くため、時期差・地域差があり、これを一つの時代・文化とするのは必ずしも適切であるとは言えません。

実際、考古学研究においても、いくつかの時期や地域に分割して研究を行うことが多いです。

縄文時代は大きく以下の6つに区分されます。

①草創期 → ②早期 → ③前期 → ④中期 → ⑤後期 → ⑥晩期

②早期で、気候が急激に暖かくなってため海水面が上昇し、日本列島沿岸部の地形が大きく変化していきます。この変化に適応して次第に定住生活が始まっていきました。

④中期では、人口が最も多くなった時期であり、一般的に縄文文化の高揚期と言われます。炎が燃え盛っているような火焔型土器や国宝の土偶「縄文のビーナス」などの土偶の多くはこの時期につくられました。雑誌やグッズ展などは、わりとこの時期を中心に取り上げているものが多い気がします。

そして、北海道・北東北の縄文遺跡群に関連するものといえば、⑤後期の後半に見られた墓地ですね。

墓地のほかには、祭祀や儀礼の場である捨て場や盛土、環状列石などが設けられ、祖先崇拝や自然崇拝とともに、豊穣祈念や互いの絆の確認などが何世代にも渡って行われていたようです

さらに⑥晩期では、東北地方で精巧な亀ヶ岡式土器や遮光器土偶を生み出した亀ヶ岡文化が有名です

とはいえ、年代についてはさまざまな議論が存在するので、あくまでも大まかな目安としてもらえたらと思います。そもそも縄文時代の時間幅で言うと、約2/3が①草創期と②早期が占めています。③前期~⑥晩期の期間は、全体の1/3ほどしかありません。

したがって、よく取り上げられる④中期の火焔型土器や⑥晩期の遮光器土偶は、縄文時代のほんの一部に過ぎないということなんですね。

北海道・北東北の縄文遺跡群について

前述のとおり、縄文時代は、①草創期→②早期→③前期→④中期→⑤後期→⑥晩期の大きく6つに区分されますが、「北海道・北東北の縄文遺跡群」HPによると、北海道・北東北の縄文遺跡群では、縄文時代を定住の「開始」、「発展」、「成熟」の3つの大きなステージに区分し、さらにそれぞれを2つに小区分しています。

北海道・北東北の縄文遺跡群は、集落や墓地、祭祀・儀礼の場である環状列石など、人々の生活の実態を示す遺跡で構成されており、その数は、17あります

この17の構成資産が、遺跡の構造の変遷や立地環境によって、6つのステージに位置づけられているということなんです。

きりん
きりん
定住の開始→発展→成熟とステージごとに連続して遺跡群を見ることができるんだね!
集落展開及び精神文化に関する6つのステージ集落展開及び精神文化に関する6つのステージ / 出典:北海道・北東北の縄文遺跡群HP

また、縄文遺跡群の価値についても以下のように説明されています。

北海道・北東北の縄文遺跡群の価値を示す4つの特徴
① 自然資源をうまく利用した生活のあり方を示すこと

縄文遺跡群は、人々が森林資源や水産資源を持続的に管理・利用することによって、1万年以上の長期間にわたり採集・漁労・狩猟による定住が営まれたことを示す稀有な例です。

② 祭祀・儀礼を通じた精緻で複雑な精神性を示すこと

縄文遺跡群にみられる墓や、貝塚・盛土、石を円環状に配置した環状列石、土偶などは、祖先や自然を敬うこころ、豊穣への祈りなど、人々の精神文化を明瞭に示します。

③ 集落の立地と生業との関係が多様であること

縄文遺跡群は、人々が食料を安定的に確保するため、山地、丘陵、内湾や湖沼の沿岸、河川付近などに集落をつくり、その環境に応じて技術や道具を発達させてきたことを具体的に示します。

④ 集落形態の変遷を示すこと

縄文遺跡群は、1万年以上継続した生活の中で、気候変動・火山噴火などの環境変化や社会のあり方に応じて、人々が集落のかたちを変えてきたことを明瞭に示します。

今回、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されると、日本では最古の世界遺産になるので、本当に楽しみですね!

さて、いよいよ縄文遺跡群にはどんなものがあるのかをご紹介していきたいところではあるんですが、17もあるので今回はいくつか絞ってまとめていきたいと思います。

大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)

大平山元遺跡大平山元遺跡 / 出典:北海道・北東北の縄文遺跡群HP

 

大平山元遺跡の土器遺跡から発見された土器片 / 出典:北海道・北東北の縄文遺跡群HP

大平山元遺跡の魅力としては、何と言っても日本最古級の縄文土器を見ることができるという点に尽きるでしょう!

遺跡からは、旧石器時代の終わりごろの特徴を持つ石器群とともに、無文の土器片石鏃が出土しました。(中略)

きりん
きりん
土器片は調べた結果、紀元前13000年頃のものであることがわかったんだ。現在のところ北東アジア最古の土器だよ!

土器片の分布をみると、土器を中心とした居住空間を想定でき、柱穴や凹みは認められず、地下への掘り込みも無いことなどから、住居は移動式テントのようなもので、あらゆる建築物や土地の造成を行わず、最小限の土地利用で自然環境に適応した生活を送っていたと考えられます。(北海道・北東北の縄文遺跡群HP

きりん
きりん
大平山元遺跡は縄文時代のはじまりを示す貴重な遺跡なんだね。

三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)

三内丸山遺跡

三内丸山遺跡は教科書や資料集でも載っているので聞いたことがある方は多いと思います。約5900年前~4200年前の日本最大級の縄文集落跡で、平成4年からの発掘調査で、竪穴建物跡や墓、盛土、掘立柱建物跡、粘土採掘坑などが発掘されました。

上の画像にもあるように、大型の掘立柱建物跡は復元されています。

きりん
きりん
竪穴建物は最大で長さ約32m、幅約10mのものが見つかっているよ!

また、膨大な数の縄文土器や石器、土偶、他地域のヒスイや黒曜石なども出土しています。

さらに、建築材としてクリ材が多く使われており、クリ花粉が多量に検出されたことからクリの移植・管理・栽培が行われていたとされています。

なますけ
なますけ
はるか昔の人がクリを栽培してたの?!凄すぎでしょ!!

大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)

万座環状列石
野中堂環状列石の日時計組石

大湯環状列石は、万座環状列石(まんざかんじょうれっせき)野中堂環状列石(のなかどうかんじょうれっせき)の2つの環状列石を主体とする縄文時代後期の遺跡になります。

どちらも大小の川原石を様々な形に組み合わせた配石遺構が二重のサークルになっているのが特徴です。

配石遺構はどうやらお墓じゃないかという発掘調査が出ているので、これらの環状列石は集団墓である可能性が高いです

きりん
きりん
配石の下にちょうど屈葬で入られるくらいの大きさの穴が見つかっているよ。

また環状列石を囲むように、掘立柱建物や貯蔵穴などが同心円状に広がっていることも発掘調査で明らかになっています。しかし、発掘調査では柱が建てられていた跡がわかっただけなので、建物自体はこんな建物だったんだろうな~とあくまで想像で復元されたものになります。

上の写真にもある日時計組石はどちらの環状列石にもあるのですが、それが一直線上に並ぶように配置されていることから、計算された設計である可能性が高いです。そして、この直線上は夏至の日没方向とほぼ一致します。

きりん
きりん
当時の人々が太陽を意識して作ったとみて間違いないなさそうだけど、断言はできない!
なますけ
なますけ
どうして、こんなものを2つも作ったの?!謎だらけじゃ~ん
きりん
きりん
謎は深まるばかりだね・・・。でも、だからこそ妄想し放題で歴史好きにはたまらないかもね(笑)

他にもキノコの形をした土器や、数の概念を示す土版など多くの出土品があります。出土品は大湯ストーンサークル館で見ることができます。

亀ヶ岡石器時代遺跡(かめがおかせっきじだいいせき)

亀ヶ岡石器時代遺跡モニュメント
亀ヶ岡石器時代遺跡 土器 / 出典:JOMON ARCHIVES(青森県立郷土館所蔵、田中義道撮影)

青森県津軽半島のつがる市の丘陵上に位置する亀ヶ岡石器時代遺跡。上の写真にもあるように遮光器土偶に代表される縄文時代晩期のころの集落遺跡になります。教科書でもおなじみの遮光器土偶!全くの初見という方は少ないような気がします…(いたらすみません!汗)。

出土品は芸術性に富んでいて、その精巧さ、技術力の高さが特徴です。漆塗りが施されていたことがわかっており、遮光器土偶も作られたばかりのころは赤く塗られていました。

また、亀ヶ岡式土器はこの遺跡にちなんで名づけられた東北地方を中心とした縄文時代晩期の土器群の総称です。

きりん
きりん
ちなみに遮光器土偶は地元では「しゃこちゃん」と呼ばれて親しまれているんだって~♪
なますけ
なますけ
この宇宙人どこかで見たことあるような・・・
きりん
きりん
…宇宙人(笑) 今は東京国立博物館所蔵だから、そこで見たのかも?もしくは教科書かな。

おわりに

いかがでしたか??

縄文遺跡群には、今回ご紹介できなかった遺跡がまだまだたくさんありますので、ぜひ調べてみてください。

はるか遠い時代のこと、人。でも、今の我々と変わらない(むしろ卓越した)繊細な技術や芸術性、文化が根づいていた時代でした。この魅力を少しでも多くの方に知ってもらえると嬉しいです(←誰目線?!)

きりん
きりん
さぁ~、いよいよ世界遺産登録決定ですよ~!巻き起こせ!縄文フィーバー!!(笑)

 

北海道HPの世界遺産登録推進ポータルサイトでは、「北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録決定の瞬間を共に」と題して、世界遺産委員会「ライブ視聴会」がオンライン配信されるとのことです。
お時間がありましたら、ぜひチェックしてみてください。

 

ではでは、今回はこのあたりで~

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