今回は、2万5000~3万以上もあったとされる日本の城のなかでも、現存十二天守であり、さらに国宝五天守に分類される犬山城について、まとめていきたいと思います。
今年(2021)の3月末には、犬山市教育委員会より科学的に調査した結果現存する天守のなかでも最古であると発表されました。何年もの時を乗り越えてきた犬山城の歴史も踏まえて見ていきましょう。
犬山城について
概要
犬山城は天文6年(1537)、織田信長の叔父、信康が木之下城を移して移築したと伝えられています。木曽川沿いの標高88メートルの丘陵上に建てられ、本丸の背後は木曽川によって守られていました。立地としては、中山道や木曾街道に通じており、また、木曽川を利用した交易も盛んで、政治や経済の要衝として、信長・秀吉・家康が奪い合う重要な拠点となります。

歴史
先ほども述べたとおり、織田信長の叔父、信康によって築城された犬山城ですが、築城から10年後の天文16年(1547)、信康は稲葉山城攻めに出陣し命を落とします。その後は子の織田信清が城主となりますが、織田信長に反旗を翻したため逆に攻められ、犬山城も陥落。信清はあえなく甲斐へ逃亡。織田信長の家臣で乳兄弟でもある池田恒興が入城しました。
その後も城主はめまぐるしく入れ替わります。
天正12年(1584)小牧・長久手の戦いの際には、羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康・織田信雄がせめぎ合います。その際、秀吉は犬山城に入城し、にらみ合いは続きますが、両者の間で和議が結ばれ、犬山城は織田信雄に返還されます。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦後は、小笠原吉次が入城。元和3年(1617)に尾張徳川家の付家老の成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が幕末まで代々受け継いでいきます。ちなみに、現在の天守の姿は、成瀬正成が城主の際に改良してできあがったといわれています。

明治維新に犬山城は廃城となり、天守を除いて大部分は取り壊され公園となりました。明治24年(1891)には、濃尾大地震により天守が半壊するほど大きな被害に見舞われました。修復が必要になった犬山城は愛知県から修復を条件として成瀬氏に譲渡されることになったのです。
昭和10年(1935)に国宝に指定され、昭和27年規則改正に伴い再指定されました。
天守について

穴倉


穴倉は天守の出入口になっています。上の写真のように、天守を支える石垣を見ることができます。
内側に入り組んだ石垣が見ることができるのは、穴倉のある天守ならではですね!
望楼


最上階の4階に上ると、高欄と廻縁があるので、そこを歩きながらぐるりと景色を一望できます。
廻縁は外側に向かって斜めにやや下がっているので、歩くときけっこう怖かったです(笑)
ただ、やっぱり木曾川の眺めが最高すぎるので、すぐに恐怖心を忘れて景色に夢中になっていました!!
石垣

犬山城天守台の石垣も立派ですね。高いところで6メートルほどになるといいます。
野面積みのようにも見えて、築城当時のものも残っているのかなぁ~と思っていたのですが、Twitterで詳しい情報いただきました。
西南角の下部の石垣は古いままのように見えますが、解説書によると根石を残して全部を積み直したとあり、修理前の古写真や図面を見ると、確かに違うように見えます。
思うに、あえて明治に積み直されたと見られる部分と積み方を変えている(※今日のように、正確に復元していない)んではないですかね? pic.twitter.com/CHDTlXMGVP— 🏯Tm.🏯 (@Toshirou_m) May 23, 2021
濃尾地震で被害を受けた状態がこれで、天守西側二間程は完全に崩壊してしまっています。ですから、昭和の修理前の天守台の西側は、ほぼ明治の積み直しに相違ありません。反対に北東部は旧来のそれが残っていて、昭和の積み直しはそれを参考にしたようなので、むしろ明治のそれが異様なんですよね😅 pic.twitter.com/IvdXPf5wjM
— 🏯Tm.🏯 (@Toshirou_m) May 23, 2021
以上のように、残念ながら築城当時のまま残っているわけではありませんでした。
明治の地震や昭和の解体修理で石垣は積み直されているようです。
御城印
犬山城の御城印は、令和元年5月1日より頒布が開始されました。用紙はユネスコ無形文化遺産の美濃和紙が使われています。背景には犬山城にゆかりのある織田家・豊臣家・徳川家・成瀬家の家紋が描かれています。

頒布場所 | 犬山城前観光案内所 |
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頒布時間 | 9:00~16:30 |
頒布料金 | 300円 |
城下町とグルメ
COCOTOMO BAUM「バウムクーヘン」


ココトモファームという犬山市の米農家が育てたお米を使ったバウムクーヘンが人気のお店です。
みずみずしくて鮮度のよい自家栽培新米の生米粉100%!
もちもち&しっとりとした食感がたまりませんでした。
さくら茶屋「田楽」

犬山城の入り口のすぐ向かいにあるのがさくら茶屋。
ここでは、犬山名物の田楽を楽しむことができます。イートインだけでなく、テイクアウトも可能です。
店内であれば、さくら膳(豆腐田楽6本、小鉢、汁物、サラダ、菜飯、香の物、デザート)などもあるようです。
テイクアウトで田楽を2本頼んで食べましたが、濃厚な味噌だれがとてもおいしかったです!
香ばしい味噌の香りが漂っていて、犬山城に登城するときからあとで絶対寄ろうと決めていました(笑)
アクセス
アクセスについては、以下の表のとおりです。
入場料は、電子マネー払い可能。さすが国宝犬山城!現金を極力持ち歩かない私にとって、電子マネーを使えるところはとてもありがたかったです。
所在地 | 愛知県犬山市犬山北古券65-2 |
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料金 | 一般 550円、小中学生 110円
交通系ICカード、楽天Edy・QUICPay・PayPay・nanaco・WAON利用可能(ただし、セット券は不可) |
開城時間 | 9:00-17:00(入場は16:30まで)
ペットは入場不可 [定休日]12/29-31 |
駐車場 | あり(有料) |
御城印 | あり(300円) |
まとめ
国宝天守というだけで向かう途中からワクワクしていましたが、いや~やはり期待を裏切らない佇まい!!最初から最後まで楽しむことができました。
天守からみた木曾川の景色がとてもきれいで、これは犬山城でしか味わえないものだなぁ~とずーっと眺めてました(笑)
今年に入って年輪調査で現存最古の天守だと分かった柱や梁も見ることができたので、もう何も言うことがありません。大満足な旅でした。
大手門枡形跡の発掘調査は今夏から始まるそうなので、見に行けたらまた行きたいなぁ~と思っています。情報が分かれば、Twitterでも紹介しますね。
犬山城の城下町を散策。
途中で柵で囲われた広い土地を発見。
何かと思ったら、大手門枡形跡の発掘調査予定地でした。
今年の夏より調査が始まるようです。#犬山城 #城下町 #大手門 pic.twitter.com/9XIZcIN9p1— きりん@歴旅ブロガー (@kirinnblog20) May 18, 2021
ではでは、今回はこのあたりで~
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